アドラー心理学VS行動分析学
アルフレッド・アドラー(Alfred Adler)が創始し、後継者たちが発展させてきた心理学の体系である。
アドラー自身は自分の心理学について、個人心理学(英: individual psychology)と呼んでいた。それは、個人(individual)が、in(=not) + L.dividuus(=devisible 分けられる) + al(の性質)=分割できない存在である、と彼が考えていたことによる。日本では、アドラー心理学(英: Adlerian psychology)の呼称が一般的である。
アドラーが自分の心理学について個人心理学と呼んだように、アドラー心理学では、個人をそれ以上分割できない存在であると考えることから、人間の生を、個人という全体が個人の必要な機能等を使って目的に向かって行動している、というふうに考えている。より具体的には、人間は相対的にマイナスの状態(劣等感を覚える位置)から、相対的にプラスの状態(優越感を覚える位置)を目指して行動している、と考えている。(Wikipediaより引用)
行動分析学(こうどうぶんせきがく;Behavior Analysis)とは、バラス・スキナー(Burrhus Frederick Skinner)が新行動主義心理学をさらに改革し、新たに起こした徹底的行動主義(radical behaviorism)に基づく心理学の一体系である。歴史的には、フロイトやユングらの精神分析学に対抗する形で発展してきた。行動分析学とは字義通り人間または動物などの行動を分析する学問である。行動は、生物ができるすべての行動を対象とする。具体的には、独立変数(環境)を操作することで従属変数(行動)がどの程度変化したかを記述することによって、行動の「原理」や「法則」を導き出す。これを実験的行動分析(じっけんてきこうどうぶんせき;Experimental Analysis of Behavior)という。これにより、行動の「予測」と「制御」が可能になる。その成果は、人間や動物のさまざまな問題行動の解決に応用されている。これを応用行動分析(おうようこうどうぶんせき;Applied Behavior Analysis)と呼ぶ。行動分析学の基本的な「原理」は、レスポンデント条件づけ(別名古典的条件づけまたはパブロフ型条件づけ)とオペラント条件づけ(別名道具的条件づけ)の二つにある。(Wikipediaより引用)
行動分析学は賞と罰を用いて、人間がある刺激を与えるとどんな反応を示すか、実験と観察を繰り返しながら打ち立てられた学問です。
動物実験が理論的な基礎になっているので、嫌悪感を抱く人も多いです。電気ショック等で動物を制御するイメージでしょうか。
創始者のスキナーは「嫌子を使ったコントロールを否定し、好子によって制御される社会を作り上げること。」を目標にしていました。要するに罰を使うことには否定的でした。
行動分析学では「60秒ルール」というものがあります。60秒以内に好子が出現しないと行動は強化されないというものです。
・相手が笑っていない→冗談を言う→相手が笑っている。
冗談を言った直後に相手の笑顔があることで、行動が強化されていくというわけです。
私も日常で気にして使っています。話を聞いた後に笑顔を返すと相手も私に話しかけてくれる行動が増えることが期待できますし、こちらも気分がいいものです。
アドラー心理学では問題解決に「勇気づけ」を用います。
褒める「ゴールキックをミスするなんて、お前にはガッカリしたよ。
勇気づける「ゴール・キックのことでガッカリしているようだけど、角度とスピードがすごかったよ」(失敗したときも)
(岩井俊憲 勇気づけの心理学より)
勇気づけることは、褒めることとは違い、相手に共感することで、継続的な効果があります。また、勇気づける人の態度、勇気づける人とされる人の関係性、言葉以外のノンバーバルコミュニケーション、相手に関心を持つことが非常に重要になってきます。
また、勇気づけることは達成したことだけではなく、無条件に行うものです。
教育界では、賞罰を用いる行動分析学が支配的でした。アドラー心理学は賞罰に否定的です。
賞と罰を子どもに使ったら、教育上、次のような問題点があります。
①賞罰を与える上位者と与えない上位者を下位者が区別して、上位者に対する下位者の反応が異なる。いわゆる「顔色を見る」態度である。
②賞罰は、上位者の感情に左右され、下位者の行動と上位者の与える賞罰との間に一貫性がないことが多い。
③賞罰は、下位者が上位者の評価ばかり気にし、仲間との間の競争心を煽りやすい。
④賞罰は、同じ単位の快・不快を提供していると刺激が弱まり、だんだんエスカレートしないと効果が薄れる。
⑤賞罰は、それを得ようとして、あるいは免れる為に、下位者の不適切な行動を招きやすい。また、それを監督するための上位者の仕事量を増加させる。(岩井俊憲 勇気づけの心理学より)
私の職場である自閉症の支援施設でも、行動分析学を使った支援を行い、一定の成果を出しています。しかし、自閉症の特性上の課題や、上記の問題も起こっています。
障害を持った方は自分に自信がない方もおり、自己肯定感が低い方もいます。自己肯定感が低いと地盤の緩い土地に家を建てるようにどんなに立派な家を建てようとしても崩れてしまいます。まずは自分に自信をもってもらうこと、自分を大切な存在であることを自覚してもらうことが必要になります。そこでアドラー心理学の「勇気づけ」を活かすことができるわけです。
私が感じているのは、行動分析学もアドラー心理学も血が通っている暖かい学問だということです。どちらが正しく、どちらが間違っているとは言い難いものがあります。
人間を理解すること、相手を恐怖を使わずに良い方向に導くということは本当に難しいことで、どちらの学問を使っても忍耐が必要です。ガチガチに考えずにのんびりと課題に向き合っていきたいものです。
アドラー心理学と堀江貴文
ホリエモンが好きです。
堀江貴文 本音で生きる SB新書
私としては「嫌われる勇気」一冊を読めば、一気に変わると思ったのだが。あれだけわかりやすく他人に振り回されず成功できるメソッドを説いた本がベストセラーになっても、世の雰囲気は変わらなかった。『嫌われる勇気』が売れた分の人数が全員、新しいことにチャレンジしていたら、古い固定概念は一新されると期待したのに。(堀江貴文という生き方)
気持ちはわかりますが、「嫌われる勇気」を読んでいきなり脱サラ起業する人はいないでしょう。起業して生き残るのは1割と聞けば、当然です。我々はまず生き続けなければなりません。
堀江さんの生活を下で支えているのは、起業に関心なく、日々を必死に生きている人たちです。美味しいものだけ食べたいとのことですが、作るのは起業している人だけではないのです。 現代の日本の問題は、中間に生きている労働者の収入が減って金持ちと二極化して行き、サービスが低下していることです。
その問題をどのように解決するか。「普通に働いている人もアドラー心理学の知識によって幸せにすること」が私の小さな目標です。
「多少は邪道だとか批判を受けてでも、自分だけの武器を活かして、まず周りと違うことをやれば、突破のきっかけになる」
私もホリエモンに助言を頂き、自分のスペシャリティーを探してみました。
・本屋にいくことが好き。
・自己啓発本が好き。
・心理学に興味がある。
・家にたくさんの玩具がある。
・対人の仕事を16年続けてきた。
自分にとっては大したことないこと、恥ずかしいと思っていることも、活かせば資源。
活かすことで、このブログも始めることが出来ました。
ホリエモンは「生きる目的は楽しく、幸せに生きること」と言っています。その点に関してはとても好感が持てますし、これからもホリエモンの考えを生活に活かしていきます。
引き寄せの法則 実践編② 引き寄せの実感
宇宙さんありがとう!
今日、藍井エイルの歌を口ずさみながら歩いていたのですが、
通りかかった高校の横断幕に「○○えいる 全国優勝」と書いてありました。
また、その後子どもの幼稚園で笑顔で挨拶してくれた子の名札には「○○えいる」と書いてありました。
これって引き寄せの法則ですよね!!
私が宇宙に「○○えいる」を注文したから宇宙がそのオーダーに応えてくれたと、そういうことですよね!!
いよいよ引き寄せの法則を実感するときがきました。
ありがとう宇宙さん!!
…んなわけない。
どれだけ脳内お花畑なのでしょう。
トラップ一家が仲良く歌を歌っている様子が目に浮かぶようです。
そんなことで幸せを感じられるなら、引き寄せの法則などいりません。そのままでも十分満たされていることでしょう。
小池浩 借金2000万円を抱えた僕にドSの宇宙さんが教えてくれた超うまくいく口ぐせ
等の本も長期で見るとすごいことが叶っているのですが、エピソードが往々にして今一つなんですよね。
車を買うにしても、
車を買いに行ったら、偶然が重なって希望の車に巡り合った。
とか。
もっとパンチの効いた引き寄せエピソードを放り込んでほしいものです。
「○○えいる」さん全国優勝おめでとうございます。
「○○えいる」ちゃん、笑顔をありがとう。
「えいる」って名前流行っているのですね。かわいい名前です。
引き寄せの法則 借金2000万円を抱えた僕にドSの宇宙さんが教えてくれた超うまくいく口癖
引き寄せの法則の本を読むと、考えは書かれていても、実際の行動としてなにをしたら良いのかわからないことがありました。
この本は引き寄せの法則の実践編と言えるでしょう。
小池浩 借金2000万円を抱えた僕にドSの宇宙さんが教えてくれた超うまくいく口癖
【内容情報】(出版社より)
「口ぐせ」ひとつで人生はどうにでも変えられる。その理由はごくごくシンプルな宇宙のしくみにある。宇宙とは「言葉を増幅する」場所。あなたが発した言葉をただただ増幅し、あなたが思い描いた通りの現実を見せる。そこに善悪の判断も、解釈もない。ただあなたが発する言葉通りの現実をもたらす。そう、宇宙って、そんなとことん「ドS」な場所。著者コイケ氏は、借金2000万円を抱え、人生のどん底にいたときに、宇宙からの声を聞くようになり、そのスパルタな導きで借金完済、その後も年収は増え続け、家族にも恵まれ、人生大逆転を果たした。この本では、著者・小池氏が聞こえた声をそのままに、そして、脳内イメージを楽しいイラストで表現。絵と言葉で、「ドSな宇宙さん」の言葉が体にしみこむようにできている。言葉を使うのは、魔法を使うのとおなじこと。願望をかなえたいなら、幸せになりたいなら、まずは言葉に出しなさい。使う言葉を変えなさい。それはどんなことよりまっさきにできる「行動」だから
結論から言うととても面白かったです。
宇宙が起こす奇跡に定員はない。
という言葉は
「小さな蟻一匹が胸から血を流して倒れる時、世界が滅びさる」
という岡本太郎の言葉に通じるものがあります。
私もずっと思っていましたが、「私」が死ぬときには一緒に「私の世界」も滅んでしまうのです。もっと自由に考えていいはずです。
もちろん、だからといって自分勝手に生きた方がいいという訳ではありません。あくまでも共同体に迷惑をかけないことが前提です。
「ありがとう」ということの大切さも共感しました。
「すみません。」は駄目だ、「SAY THANK YOU」。 白洲次郎
私も実生活でもこの言葉を知ってから実践しているのですが、なかなか難しい。「すいません」と言ってしまうのです。言われた方もすいませんとへりくだった感じにされるより、ありがとうと言われたほうが気分がいいですよね。
しかしながら、「引き寄せの法則」自体が「宇宙に~」となにやら胡散臭い感じに仕上がっているのに、なぜまたスピリチュアルをかぶせてくるのでしょうか。パワーストーンとか別に知りたくありません。
引き寄せの法則はとてもいいことを言っているのに、着地点が新興宗教のようになってしまい、私は少し違和感を感じています。
あくまでも強く生きていくための思想を知りたいのであって、「石の力」に頼りたいわけではないのです。
基本的に私は「超ネガティブ」なので、読書は本を使って性格の矯正をしている面もあります。この本は矯正するのにうってつけでした。何をするのかが明確に示されており、行動の裏付けも納得できるものでした。
芸術は爆発だ!アドラー心理学と岡本太郎②
絶望の中に生きることこそが、
おもしろい。
そう思って生きる以外にない、
それが本当の生きがいなんだ。
岡本太郎『殻をやぶる言葉』より
えー、やだー。
(心の声)自分だけ幸せになりたい…
「そう思って生きる以外にない」という断言がとても強く感じられます。
絶望はどこにでも転がっています。
「母屋でおかゆをすすっているときに、離れですき焼きを食べている」
と財務大臣 塩川 正十郎が、かつて名言を残しました。 これは、一般会計が赤字を削っているのに特別会計で浪費していることを揶揄した表現でした。
…いまなんとなく思い出しました。関係ないですね。
自分の家がすき焼きでHAPPYでも、隣の家でおかゆをすすって絶望を感じていたら、それは本当の幸せではないのです。
自分だけ良ければいいという考えが案外「自己啓発本」の根本にあるのではと感じています。「自己啓発に励み、他人より優位に立てるスキルを身につけろ」というわけです。その先に「幸せ」があると。
アドラー心理学では、「人は共同体の中で、自分の存在価値を感じ続ける為に生きている」と説きます。
アドラー心理学における幸せとは、周囲を幸せにすることを通じて、「自分を成長させつづけていく」こと。
僕は「幸福反対論者」だ。幸福というのは、自分につらいことや心配なことが何もなくて、ぬくぬくと、安全な状態をいうんだ。ニブイ人間だけが「しあわせ」なんだ。僕は幸福という言葉は大嫌いだ。僕はその代わりに、「歓喜」という言葉を使う。危険なこと、つらいこと、つまり死と対決するとき、人間は燃え上がる。それは生きがいであり、そのとき湧き起こるのが幸せではなくて「歓喜」なんだ。 岡本太郎
戦時中の苦しい軍隊生活や、戦後の遅れた美術界の「絶望」の中で、岡本太郎は自分を強く押し出すことによって「活力」を湧きあがらせました。彼は本を読む限り、周りの人達との関係性をおろそかにする人間ではありません。平気で他の人たちとぶつかり合い、そこに生まれる本当の調和を大切にした人でした。
岡本太郎は「自分を成長~」とは言わないでしょう。おそらく「シアワセなんて蹴とばして、その瞬間に爆発しろ!」ですね。
結局、なにが言いたいのかよくわかりませんが、自己啓発本の「自分さえよければ…」と感じられる考えに少し嫌気が差したのかもしれません。
アドラー心理学も第一次世界大戦に従軍したアドラーによって、岡本太郎の思想も第二次世界大戦を生き抜いて出来たもの。生きる意味に関して平和な現代を生きる我々のそれとは重みが違います。
私も絶望の中であがいてみようと思います。
アドラー心理学 「嫌われる勇気」とは何ぞや
大コケ中の香里奈『嫌われる勇気』に「日本アドラー心理学会」が猛抗議! 問われるフジテレビの対応
2017年2月10日 17時0分 日刊サイゾー
心理学者のアルフレッド・アドラーの教えを解説したベストセラー『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健の共著/ダイヤモンド社)を原案とした同名ドラマを放送中のフジテレビに対し、「日本アドラー心理学会」が抗議文を送ったと公式サイトで発表した。
同学会は、アドラー心理学の研究と啓発を目的に1984年に設立され、会員は全国に約1,000名。抗議文によれば、同ドラマはアドラー心理学の一般的な理解とは「かなり異なっている」といい、「テレビのような公共的な場で、あたかもそれがアドラー心理学そのものであるかのように普及宣伝されるのは、日本のアドラー心理学の啓発・普及に対して大きな妨げになる」としている。(ライブドアニュースより)
私はフジテレビの「嫌われる勇気」を1度しか観ていないのでなんとも言えませんが、ただ本の中にある哲学者の言葉「明確に否定します」をただ決め台詞に使っているだけの、自分勝手に生きている女性を「嫌われる勇気」を持っている=アドラー心理学の修得者みたいな表現にとても驚きました。
「嫌われる勇気」の本の内容はとても穏やかで、それでいて目が覚めるように厳しく、人間愛に向き合っている作品でとても影響を受けました。
私も全面的にアドラー心理学万歳!というわけではありません。
気になる点もあります。
たとえば、「人間の悩みはすべて人間関係にある」という言葉。「すべて」とは言いすぎなのではないかと思います。
例えば所有欲。私は玩具が大好きで集めたりしているのですが、外向きに「〇〇もってるんだよ!」と自慢したいとは人間関係に関わってくると思うのですが、1人で引き出しを開けて「うししっ」と満足することもあるわけです。(私の場合は軍艦の玩具。佃煮にできるほどあります。)
軍艦の玩具を購入する場合、「お金もないしな~、場所も無くなってきたな」という悩みは人間関係かといったらそうではないような…
もちろん、玩具を作っているのは他の人なので、人と関わる悩みと言ったらその通りなのだと思いますが、少しひっかかる部分ではあります。(詳しい方教えてください)
ともあれ、アドラー心理学の「課題の分離」「原因論ではなく目的論」の考えなどはすぐに社会生活で実践することが出来、とても有効であると思っています。
アドラーも愛を説いてはいますが、奥さんと15年別居していたといいます。
「嫌われる勇気」の岸見一郎も家族のことで悩んでいたとのことです。
私は
テクニックではなく、その人の人格が一番大切だと思っています。
問題の解決は一朝一夕にはいかないこと、アドラー心理学を修めているということ「だけ」では問題解決は難しいということが、「嫌われる勇気」のドラマを観て一番感じたことなのかもしれません。
芸術は爆発だ!アドラー心理学と岡本太郎①
岡本太郎大好きです。
岡本 太郎(おかもと たろう、1911年(明治44年)2月26日 - 1996年(平成8年)1月7日)は、日本の芸術家。血液型はO型。 1930年(昭和5年)から1940年(昭和15年)までフランスで過ごす。抽象美術運動やシュルレアリスム運動とも交流(ただし合流はしていない)した。第二次世界大戦後、日本で積極的に絵画・立体作品を制作するかたわら、縄文土器論や沖縄文化論を発表するなど文筆活動も行い、雑誌やテレビなどのメディアにも1950年代から積極的に出演した。(Wikipediaより)
今回は、岡本太郎の言葉とアドラー心理学の類似点を通じて、強く生きるヒントを探っていこうと思います。
自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身をまもるために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ。
強がりはコンプレックスの裏返し。
「強く見せる」努力はやめて、
「強くなる」努力をすることだ。
テレビなどで成功している人を見ると、「同年代でこんなに成功しているとは。それに比べて自分は…」と思ったり、身近にいる出世していく人がいるとやっかんでみたりとアドラー心理学を勉強していても、私は理想にほど遠い状態です。
特に、コンプレックスを抱いている人に少し偉そうにものを言われると「うっ」と言葉に詰まることがあります。
どんなに理論武装をしても、心は正直です。すぐに反応してしまいます。
アドラーは、劣等感を言い訳にして、人生の課題から逃げていると説きます。
すべて、ただ弱い自分を認めたくない、傷つきたくないからという「言い訳」なのですね。
岡本太郎はふつうの常識人だったと、本人に会ったことがある美輪明宏がNHKの番組で話していました。
両腕を広げて「芸術は爆発だ!」と言っているイメージ、なにも怖くないようにみえた岡本太郎もふつうの人間。
自分の良いところも悪いところもすべて受け入れた状態で、過去を無視して、未来を無視して、現在の瞬間瞬間に爆発して生きたからこそ、いまもその生き方が輝いてみえるのですね。