拝啓 こけつまろびつ様

あたりまえのことをもっともらしく

こころの栄養。ストロークについて

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交流分析(TA)について研修を行う機会があって購入しました。

 

入門TA 浅井千穂・坂田芳美 編著 TA教育研究会

 

専門用語が連続して出てくる(よくわからない)本の中で、今回は「ストローク」について考えたいと思います。

 

ストロークはもともと「なでる」とか「さする」という身体的接触(刺激)を意味する言葉ですが、TAでは人の発達に伴って生じる、言語的・非言語的なものも含めた現在の認知を示す行動をストロークと呼んでいます。

体が成長する上で、また調子を整える上で、タンパク質やビタミンなどが必要であるように、心にも栄養が必要です。

心の栄養、それがストロークです。(P24)

 

いまいち伝わってきません。

 

ストロークは『心の栄養』と言われています。たとえるなら食事や水と同じ。飲まず食わずで生きられないのと同じで心の栄養がないと人は生きていけないのです。すなわち人は『ストロークを得ること』こそが最大の目的なのです。(中略)もちろんプラスのストロークに越したことはありません。しかしそれが得られないとき人はマイナスのストロークでもいいので得ようとするのです。食事で想像してください。二つとも食べられるならもちろん誰だってご馳走を食べます。しかし遭難などでなにも食べられない状態ならどんなにマズくてイヤな食事であっても口に入れたいと思うのではないでしょうか。人にとって『孤独』や『無視をされる』ことほどつらいことはありません。たとえマイナスのストロークでも『何もない』よりずっとマシなのです。(マンガで分かる診療内科4 P10~P11)

 

「マンガで分かる診療内科」は図解してあり、ギャグも交えてわかりやすく、面白いです。

 

 

交流分析では、「過去と人は変えられない」ということが考えの中心になっているということです。まさにアドラー心理学ととてもよく似ているのですが、アドラー心理学よりガチガチに(?)目的が固まっているわけではないようです。

 

 

ストロークの概念も、行動分析学の行動を強化する「強化子」にとても似ており、ストロークの操作で(良い行動をしたら質の良いストロークを与えて行動を強化する、良くない行動をしたら質の悪いストロークにして行動を弱化させる等)他の人を「意のままに」動かすことも可能のような気もしますが、交流分析ではあくまでも「過去と人は変えられない」という立場に立ち、アドバイスはするが、行動自体はその対象の人に任せるという考えです。相手は変わらない、だから自分が変われと。

 

 

アドラー心理学の時も思いましたが、困っているのはあくまでも「自分」であり、その自分が「変わらなければ」ならないというのはなにか損しているような気がするのは、まだまだ学習が足りないのだということでしょう。

 

 

アドラーが言う「課題の分離」が出来ていないということです。

 

 

行動分析学アドラー心理学交流分析と身近に3つの心理学がありますが、どの考えが人を救うことができるのかとても気になります。うんちくはいくらでも言えますが、実生活で役立たないのではまったく意味がありません。

 

 

心理学など知らない人が(自分もそうですが)「使用」してもっともしっくりくるものはどの考えなのでしょうか。興味は尽きません。