本で人は幸せになれるか

本を読むことで人は幸せになれるのか。本の中から人生をどのように生きていくかを学びます。

城なんか興味ない?そんなこと知りません!「土の城の本」

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わたしが大好きな日本の城について書きます。

 

 

最近は私が好きな「土の城」についての本が多く出ていてとてもありがたいです。

 

 

戦国の城がいちばんよくわかる本 西股総生 KKベストセラーズ

 

 

 

・現在残っている「城」は12.

現在日本に残っている城(天守閣=高層の建物、城と思い浮かべた時に浮かぶアレ)  の数は姫路城、松本城などを含めて12あります。以外に少ないように思えるかもしれません。日本人は城(天守)が大好きなので、日本全国いたるところにコンクリートで出来た犬山城江戸城の富士見櫓のコスプレのような城がたくさん建てました。あんなものはニセモノだ!という人もいますが、私はあれはあれで見るとテンションが上がりますし、大好きです。

 

 

 

・日本にあった城は3万~4万。

「うちの近くにはお城がない!」と嘆く方もおられるでしょうが、朗報です。城はいたるところにあります。その多くが「土の城」です。城の総数は3~4万と言われています。

今現在日本にあるコンビニの数は2010年の統計では4万2865件ということですからコンビニのような数の城が日本中にあったということになります。ネットで調べてみたりすると、近くに多くの城があることにびっくりすると思います。

 

 

 

・いろいろな城があります。

  〇地震による山崩れで一族もろとも土の下へ。今でもどこにあったかわからない 

  帰雲城

 〇壁、畳がいざという時に食べれるようになっています 熊本城

 〇星の形をしています。 龍岡城 函館五稜郭

 〇大砲に耐えるために鉄板を貼りました 福山城

   〇古墳の上に建ててみました 岡ミサンザイ古墳城郭…

 

 

 

・「建物」は使い捨て?

 先日、犬山城天守に雷が落ちてしゃちほこが欠けたとニュースになっていました。たしかに、残念なことではありますが、「しゃちほこ」自体が天守を火災から守るおまじないのような意味がありますので、あれはあれで正解なのです。しゃちほこが天守を守ったのです。

 言ってしまえば、城の建物自体「使い捨て」なので、壊れても直せばいいのです。城の本分は「遮断線」にあります。ようするに「人が入ってこれないようにするライン」が重要なのです。敵の侵入を防ぐための高い石垣、深い堀などがそれにあたります。「遮断線」が城にとって重要であり、建物は「おまけ」にすぎません。土の城には、縄文時代と変わらないような建物ぐらいしかありませんでした。

わたしの町の城はなく、石垣しかありませんという意見もあるかと思いますが、実は石垣自体が城そのものなのです。石垣もなくてもいいです。土だけでもいい。土から成ると書いて城です。土でできた堀や土塁しか残っていなくてもそれは立派な「城跡」です。

今まさに注目されているのが土で作られた「土の城」なのです。

 

 

・落城させることができないものになった。

土の城は基本的にその場限りの使い捨てのものも多くありました。大軍が攻めて来たら戦うことなく落城を待つことなく、諦めて捨ててしまうことも多くありました。

近世城郭(いわゆる姫路城とか熊本城とか)には様々な工夫が凝らされており、必要な人数の兵力が城に籠っている場合、何万人の兵力で力攻めをしても落城されることはありません。熊本城、会津若松城などは実際に攻められて猛烈な攻撃に晒されましたが、ついに場内に敵兵を入れることはありませんでした。何百年も城に工夫を凝らしてきて、最終的に城は落とすことができないものになりました。

 

 

 

 

城に興味が湧いてきたのではないでしょうか。

 

近年盛り上がりを見せていた城ブームでしたが、大河ドラマ真田丸」のヒットが後押しして、城歩きの本が多く発行されてうれしいかぎりです。

 

ただ、城はやさしい観光地ではありません。城は「兵器」です。「暴力装置」です。敵兵を殺傷するために作られた施設です。うかつに近づくとケガでは済みませんので注意が必要です。

 

ここに昔城があって、この地域を見下ろしていた。守っていた兵士はどんな気分だったのだろうと妄想するだけで楽しいです。

 

基本的に歴史を知るというということは、人生を豊かにしてくれるものと思います。家の近く、観光地などの城跡で一緒に妄想を楽しみませんか?

 

 

 

 

「大人たちは何かを私たちに隠している」 日本最大の危機 少子高齢社会

 

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この本を読んでから、国道を気にしながら運転したのですが、道を歩くのは高齢の男性ばかりしかいませんでした。確かに外国から来た方は日本の高齢化にびっくりすると言いますが確かにその通りだと思いました。

 

 

この国はこのまま滅んでしまうのか。

 

 

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること 河合雅司 講談社現代新書

 

 

<主な内容>
第1部 人口減少カレンダー
2017年 「おばあちゃん大国」に変化
2018年 国立大学が倒産の危機へ
2019年 IT技術者が不足し始め、技術大国の地位揺らぐ
2020年 女性の2人に1人が50歳以上に
2021年 介護離職が大量発生する
2022年 「ひとり暮らし社会」が本格化する
2023年 企業の人件費がピークを迎え、経営を苦しめる
2024年 3人に1人が65歳以上の「超・高齢者大国」へ
2025年 ついに東京都も人口減少へ
2026年 認知症患者が700万人規模に
2027年 輸血用血液が不足する
2030年 百貨店も銀行も老人ホームも地方から消える
2033年 全国の住宅の3戸に1戸が空き家になる
・・・ほか (Amazon 作品紹介より)

 

 

宮崎駿の映画「風の谷のナウシカ」を思い出しました。アクションシーンや、ナウシカの人や蟲に対しての愛の深さなどに 注目して鑑賞しますが、映画の舞台である「風の谷」は住んでいる住民は若い女性はナウシカくらいしかおらず、また労働の中心であるべき若い男性もいない高齢者と少ない子どもが目立つ限界集落でした。腐海に飲み込まれるまでもなく、早晩滅びゆく運命…今考えると宮崎駿が未来の日本を予言していたのかもしれません。

 

 

 今現在、どの分野でも人手不足、老々介護、介護と子育てのダブルワーク、地域での限界集落等々の問題がありますが、根本は少子高齢化労働人口の減少に根本的な原因があります。

労働人口を増やそうにも、たとえば労働できる期間を延ばしたところで70歳過ぎまでできる仕事がどれだけあるのか。ふつうの企業でも、一番賃金を払わなければならない50歳あたりで肩をトントンと叩かれることもあるとか。

また300万人いるといわれる引きこもりの方々に働いてもらう等の意見もありますが、いきなり社会にでたこともない人が「労働」できるわけがありません。どの案も一朝一夕にはいかないようです。

 

 

「国が無くなってもどうにかなるのでは。グローバルな社会を目指そう!」という意見もありますが、今の中国やアメリカの動向を見ているととてもとてもそのような状況ではありません。国境がなくなるどころかどちらかの国に編入されてしまいます。

この「自動販売機でジュースを買う」「夜コンビニに行く」「安心して電車に乗る」「政権の愚痴を公然と愚痴る」等々普段ふつうに行われているサービスや平凡な生活がすべて壊されてしまうことを私は望みません。

国を守るというと右翼的な精神性と非難されるかもしれませんが、この平々凡々とした日常=日本という国をどのように維持していくかが、非常に重要になると思います。

 

 

このとても大事な問題がまったく話題に上らないこともとても不思議です。作中にある中学生の問い「大人たちは何かを私たちに隠している」という言葉がまったくその通りです。政治に関わっている方々は、票にならない。自分たちはエリートなので老後に困らない、逃げ切ることができる(大変になるまえに寿命が来る)という意味で直視したくないのでしょうか。

社会が沈んでしまうということは、いままで社会で行われているサービスが機能不全に陥るということであり、ひいては自分たちの生活に直結してしまうはずなのに。

 

 

作者が提言する「日本を救う処方箋」

 

・24時間社会からの脱却

・中高年の地方移住推進

・非住居エリアを明確化

・第3子以降に1000万円

・「匠の技」を活用

・「高齢者」を削減 ほか

 

 

議員の不倫について手のつなぎ方がどうこう言っている場合ではありません。まったく直視したくない極めて厳しい「不都合な真実」ですが、皆で知恵を出し合い、この有事を乗り切らなくてはなりません。

 

 

いままで、日本は様々な危機に遭遇してきましたが、なんとか乗り切ってきました。今回はじわじわと国が滅んでいくという今までで最大の有事です。

 

 

皆でこの国難について考えてみませんか。

こころの栄養。ストロークについて

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交流分析(TA)について研修を行う機会があって購入しました。

 

入門TA 浅井千穂・坂田芳美 編著 TA教育研究会

 

専門用語が連続して出てくる(よくわからない)本の中で、今回は「ストローク」について考えたいと思います。

 

ストロークはもともと「なでる」とか「さする」という身体的接触(刺激)を意味する言葉ですが、TAでは人の発達に伴って生じる、言語的・非言語的なものも含めた現在の認知を示す行動をストロークと呼んでいます。

体が成長する上で、また調子を整える上で、タンパク質やビタミンなどが必要であるように、心にも栄養が必要です。

心の栄養、それがストロークです。(P24)

 

いまいち伝わってきません。

 

ストロークは『心の栄養』と言われています。たとえるなら食事や水と同じ。飲まず食わずで生きられないのと同じで心の栄養がないと人は生きていけないのです。すなわち人は『ストロークを得ること』こそが最大の目的なのです。(中略)もちろんプラスのストロークに越したことはありません。しかしそれが得られないとき人はマイナスのストロークでもいいので得ようとするのです。食事で想像してください。二つとも食べられるならもちろん誰だってご馳走を食べます。しかし遭難などでなにも食べられない状態ならどんなにマズくてイヤな食事であっても口に入れたいと思うのではないでしょうか。人にとって『孤独』や『無視をされる』ことほどつらいことはありません。たとえマイナスのストロークでも『何もない』よりずっとマシなのです。(マンガで分かる診療内科4 P10~P11)

 

「マンガで分かる診療内科」は図解してあり、ギャグも交えてわかりやすく、面白いです。

 

 

交流分析では、「過去と人は変えられない」ということが考えの中心になっているということです。まさにアドラー心理学ととてもよく似ているのですが、アドラー心理学よりガチガチに(?)目的が固まっているわけではないようです。

 

 

ストロークの概念も、行動分析学の行動を強化する「強化子」にとても似ており、ストロークの操作で(良い行動をしたら質の良いストロークを与えて行動を強化する、良くない行動をしたら質の悪いストロークにして行動を弱化させる等)他の人を「意のままに」動かすことも可能のような気もしますが、交流分析ではあくまでも「過去と人は変えられない」という立場に立ち、アドバイスはするが、行動自体はその対象の人に任せるという考えです。相手は変わらない、だから自分が変われと。

 

 

アドラー心理学の時も思いましたが、困っているのはあくまでも「自分」であり、その自分が「変わらなければ」ならないというのはなにか損しているような気がするのは、まだまだ学習が足りないのだということでしょう。

 

 

アドラーが言う「課題の分離」が出来ていないということです。

 

 

行動分析学アドラー心理学交流分析と身近に3つの心理学がありますが、どの考えが人を救うことができるのかとても気になります。うんちくはいくらでも言えますが、実生活で役立たないのではまったく意味がありません。

 

 

心理学など知らない人が(自分もそうですが)「使用」してもっともしっくりくるものはどの考えなのでしょうか。興味は尽きません。

 

 

 

 

 

 

死ぬくらいなら会社やめればいいんじゃないかしら

 

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って思っていました。この本を読むまでは。

 

 

死ぬくらいなら会社やめればが出来ない理由(ワケ)  汐街コナ

 

 

「うつ」の人が相談にくる職場環境になったので、理解するために購入しました。

 

 

わたし、社会に出て17年目に突入しました。辛いことややるせないこともそれは多々ありましたが、おかげ様でうつにならずにいます。

 

 

ただ、それほど一生懸命に仕事しないし、それほど責任ある仕事には就いていないということもありますが…

 

 

むつかしい仕事からは意図的に逃げている、自分のやりたいことしかやらない、めんどくさいことは人に頼る。

 

 

社会人失格です。

 

 

以前の職場の周りには病んで仕事を辞めていく人もいました。

 

 

「働くってなんなんですか?」

 

 

という問いかけにわたしは「はた(周り)が楽になるからはたらくのだと思うよ」と間抜けなことしか答えられませんでした。そして今でも答えが出ていません。

 

 

最近、大変な仕事でも「やらされてやる」ということと「自ら進んで(選んで)やる」ということには大きな違いがあるということを学びました。

 

 

「ふつう」の仕事をしていてもストレスを貯める人もいるし(それは往々にして人間関係なのですが)、長時間働いていても活き活きしている人もいる。それはやはり、「自分から進んで仕事をしている」ということに尽きると思います。

 

 

 

最近、経営に携わることが多くなり、コンサルタントの真似事のようなことをしています。会社の収入と支出を計算したり、事業を勧めたり…

 

 

その中でつくづく感じるのは、悪くいってしまえば、

 

 

「労働者はしょせん組織の駒にすぎないのだ」

 

 

ということです。(むろん私もその駒の一つです)

 

 

だからこそ、組織は労働者を大切にしなければならない、自分から進んで仕事ができる職場であるという「物語」を与えていかなければならない義務があるのです。

 

そこらへんが今上手くいっていないような気がします。「上の人」と「下の人」の信頼関係が薄いというか…

 

行き過ぎると某飲み屋さんみたいなことになってしまうのですが。

 

 

 

人に言われたままに真面目に働き、心、体を壊してしまうのは

 

 

本当のばからしいです。

 

 

忙しい人は「忙しく働ける自分、それに耐えられる自分、必要とされている自分」に酔い、上手くいく人はいいが、そのレールに乗らない人は使われて壊れてしまうだけです。

 

 

自分が壊れる前に逃げてしまおう!

人生を楽しく生きよう!

 

 

しょせんは仕事です。

 

 

最終的には自分の仕事を壊してしまえ!Googleから学ぶ働き方について

 

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なにげにテレビを見ていたら「うちの夫は仕事ができない」というタイトルのドラマがあるとのこと。

 

 

 

「えっ、俺のことじゃん」

 

 

 

悲しくなるので生々しい煽りはやめてください。泣いてしまいそうです。

 

 

 

世界一早く結果を出す人は、なぜメールを使わないのか  ピョートル・フェリークス・グジバチ 

 

 

 

仕事はできないのに仕事のやり方に関しての本は大好きです。

 

 

この4月から16年社会に出てきて初めて自分で仕事を組み立てなければならないことになり、勉強しようと思い購入しました。

 

 

まとめると

①無駄なコミュニケーションはやめて、持ち帰って検討することはやめよう。

②メールで仕事をするのをやめて、リアルタイムで働こう。

③論理や分析よりもひらめきが重要。

④自分の仕事を壊して、新しい仕事を生み出すことが重要。

 

 

①②前々から携帯電話の着信は相手の時間を奪うなあと思っていましたが、電話を多用する仕事に就くとさらに実感するようになりました。それでメールを使うようになるのですが、タイムラグがあったり、意図したことが伝わらなかったりともやもやすることも多々あります。伝わらなかったら「無駄」になります。チャットはあまり現実的ではありませんが、会って話すことはとても有効だと仕事をやっていて思います。

 

ただ、会って話すには移動時間がもったいないというのはあります。(現状、移動⇒会話⇒移動で2時間ぐらいは飛ぶので)

 

 

③論理や分析、大好きですよ。本の中でプレゼン形式を否定していますが、プレゼンの成功がイコール優秀な職員だと思っていました。確かに現代の変化する社会には追い付かない考えかもしれません。

 

④これが難しい。現在の地位や立場を守りたいです。安定したい。

しかし、人口知能の発達により半分の仕事が無くなってしまうとの話なので、変化に対応できるように生きていかなければなりません。

 

 

僕が言いたいのは、自分が今当たり前だと思っている世界は、全然当たり前ではないということです。家族が離れ離れになってしまうかもしれないし、会社がずぅと安泰とは限らないし、国や地域社会が崩壊してしまうことだってあるのです。

(中略)

変化することにはリスクが伴います。でも、変わらないこともリスクなのです。今の環境が永遠に続くというのは幻想でしかありません。

だからこそ、みなさん自身が変わる準備をしておく必要があるのです。(P253)

 

 

 

「安定」や「成長」、「仕事ができる自分」をイメージしてこの本を買いましたが、結論は

 

 

 

「いつまでもこの生活は続かないよ。自分の仕事をなくすように仕事をしなさい」 

 

 

激動の時代を生きた筆者の言葉が重いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

失敗を糧に。失敗はごほうび?!

 

 

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またまた、失敗しました。

 

 

偉い人も集まる会議で平成28年度と出した資料が本当は平成27年度のものだった…

 

 

 

だれも突っ込みを入れなかったからセーフ…か?後で苦情が来たらどう対応しよう。

 

 

 

 

 

わたし、試練はごほうびだと思っているんです。

苦難は経験したくないかもしれないけど、

じゃあ、まったく経験しないで50歳になったひとと、

経験して50歳になったひととだったら、

おもしろい話がちゃんとできるのはやっぱり…

 

宮沢りえさんが「試練という栄養。」の中で(ほぼ日手帳2016より)

 

 

 

 

 

 自分の失敗を「試練」と捉えるのかどうかは問題ですが、今回思いついたのが上記の「ほぼ日手帳2016」に載っていた言葉でした。

 

 

 

自分の失敗の話は良いものです。他の人に話せばウケる。そして誰も傷つけない。人生に厚みを持たせてくれます。

 

 

 

 

 

 

失敗を「楽しそうに」人に話すことのメリット

 

 

 

 

①     人のためになる

 

失敗には重要な情報が含まれています。聞いた人は次に活かすことで同じ失敗を繰り返すことを防ぐことができます。公共の知識にするということにより、人のためになる~利他性により話した本人も幸せにします。

 

 

 

②     人を笑顔にする。

 

テレビ番組の「すべらない話」では失敗が面白おかしく話されています。とても楽しそうに話されるのですが、その場にいた本人はその時は冷や汗が背中に流れるような気分だったこともあると思います。大変な失敗を「おいしい」と捉えることで、話す本人の意識も軽くなり、聞いているこちらも楽しい気分になります。

 

 

 

③     失敗してしまった自分の気持ちを軽くすることができる。

 

自分で大変だと思っている失敗も、他の人にしてみたらなんてことはないということはよくある事です。また、アドラー心理学の「人はそんなにお前のことをみていないよ」ということも気づかされます。

 

 

 

④     自分の勉強になる。

 

「私は、今までに、1度も失敗したことがない。電球が光らないという発見を、今までに2万回したのだ」というエジソンの有名な言葉があります。失敗をマイナスイメージで捉えるから落ち込んで動けなくなったりするのです。

 

フレーミングという言葉があります。「コップに水がもう半分しかないのか、まだ半分あるのか」というアレです。意味を変えるためにその人が持っている枠組みを変えること。失敗ではなく、「学び」に考えを変えるのです。人に話すことで自分自身も学ぶことができます。すべての失敗は学びの機会になります。

 

 

 

 

 

 

ただ、気を付けなければならないのは、気にしていないふりをして、「自分って駄目なんだよね~(笑)」といいながらメチャメチャ気にしているという状態です。自分自身もごまかしているし、聞いている相手はどうしていいのかわからず半笑いです。自分自身も実践したことがあるので、胸が苦しくなります。

 

 

 

 

しかしながら、「ほぼ日手帳」は良いものです。仕事のスケジュール管理に良し、書いてよし。下の欄の一言で時間をつぶすもよし。買い続けてもう10年にもなります。

 

 

 

失敗は財産!失敗学とアドラー心理学

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失敗しました。

 

研修会を開いたのですが、計画の時間が1時間長く設定されており、もちろん1時間を残して講師の話は終了。空白の時間、背中から冷や汗がダラリ…

 

なぜ人は失敗してしまうのか。考えるのにふさわしい本を本棚から選んで持ってきました。

 

失敗学のすすめ 畑村洋太郎 講談社

 

 世界の三大失敗をご存知だろうか。タコマ橋の崩壊、コメット飛行機の墜落、リバティー船の沈没…。これらは人類に新たな課題を与え、それと向き合うことで我々はさらなる技術向上の機会を得た。一方日本では、JCO臨界事故、三菱自動車リコール隠し雪印の品質管理の怠慢など、失敗の隠匿がさらなる悲劇を引き起こした。

   本書によると、失敗は、未知との遭遇による「良い失敗」と、人間の怠慢による「悪い失敗」の2種類に分けられる。不可避である「良い失敗」から物事の新しい側面を発見し、仮想失敗体験をすることで「悪い失敗」を最小限に抑えることが重要である、と筆者は説いている。

   また、過去の豊富な例から学ぶことで失敗の本質を多角的に検証する方法や、時間がたつと形骸化してしまう失敗例を効果的に伝承する方法についても言及している。さらに、マニュアル化した対応方法では前例のない事態が生じたときに対応できなくなるとして、とっさの判断力や創造力を養う失敗経験を教育に取り入れることを提唱する。(Amazon 商品紹介より)

 

3.11よりも前に書かれた本ですが、海岸線より離れたところにある石碑に「ここより海側に家を建ててはいけない」という先人の教えのくだりなどはなにか予言めいたものを感じ、考えさせられるものでありました。

 

失敗から学ぼう!

 

失敗を「もうだめだ、どうすればいいんだ…」と考えるのか、「今度はこうしよう!」と考えるのはその人次第です。アドラー心理学アドラーは家に例えています。同じ材料で家を造っても造る人によって家は変わる。人生もそれと同じで『使い方次第』なのだと。

 

人生で起こることは変えることができません。大切なのはその経験から何を学ぶかだと思います。

 

 フィールドでプレイする誰もが必ず1度や2度、屈辱を味わわされるだろう。

打ちのめされたことがない選手は存在しない。

ただ、一流の選手はあらゆる努力を払い速やかに立ち上がろうとする。

並みの選手は少しばかり立ち上がるのが遅い。

そして、敗者はいつまでもグラウンドに横たわったままである。

 

ダレル・ロイヤル(テキサス大学コーチ)

 

大切なのは「今、ここ」立ち上がって前に進むべきです。

 

歴史をどうして学ばなければならないの、実生活ではなんの役にもたたないのにという意見がありますが、本当は先人の失敗を学び、活かす学問だと思います。大体成功者が教科書に載っていますが、成功した人はもちろんですが、「失敗した人」の生き方も魅力的です。そして、なにを失敗とするかはその人次第です。