本で人は幸せになれるか

本を読むことで人は幸せになれるのか。本の中から人生をどのように生きていくかを学びます。

ソースカツ丼が苦手な人にソースカツ丼を食べさせる方法~人の行動は変えられるのか考えてみる~

 

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先日、福井県に行ってきました。福井県福井市の名物はソースカツ丼とのことで、100年以上の歴史を誇る「ヨーロッパ軒」のソースカツ丼を食べてきました。

 

カツ丼といっても、カツを卵でとじたものではなく、揚げた薄い豚肉をソースにくぐらせたものが直接ごはんにのっています。

 

確かに美味しい!ソースの味付けが絶妙でした。他でもソースカツ丼を食べたのですが、ヨーロッパ軒のものの方が何倍も美味しかったです。

 

そこでふと考えたのです。このソースカツ丼はおいしいけど、苦手な人もいるだろう。そのような人に関係性を崩すことなく、より自然な形でソースカツ丼を食べさせることは可能なのか。

 

 

今回は人により自然な形でソースカツ丼を食べさせる方法を考察します。

 

 

 

①おいしさを言葉で伝えて、本人の意欲を上げる。

ソースカツ丼の魅力を言葉で伝えて本人のソースカツ丼食べたい!という意欲を上げる方法。

⇒しかし、これは身近にソースカツ丼があることが前提であり、用意したとしてもた べてくれる確証がありません。

 

 

ソースカツ丼を食べなければペナルティを与える。

ソースカツ丼を食べなければ叩かれる、大切なものを取られる等のペナルティを与える。

⇒これも身近にソースカツ丼があることが前提で、関係性は壊れてしまう可能性が大です。

 

 

ソースカツ丼を食べたらご褒美をあげる。

ソースカツ丼を食べたらお金をあげる等、本人の欲しがるものをご褒美として与える。

⇒本人の目の前にソースカツ丼を置き、これを食べたらご褒美をあげると宣言して食べてもらいますが、お金の価値が分からない人には効果がありません。また、飴がもらえるなどの安いご褒美では動かない可能性が高いです。

 

 

④飢餓状態に追い込み、ソースカツ丼しか食べれないようにする。

⇒もう関係性は末期的に悪くなるでしょう。

 

 

⑤本人の好きな人に食べさせてもらえる。

本人の好きな異性や芸能人に登場してもらい、食べさせてもらう。

⇒いよいよコストが大きくなってきます。好きな芸能人に食べさせてもらえるなら食べそうな気がしますが、気が動転してそれどころではないかも。もう口に入ったのがソースカツ丼であろうがなかろうが関係ない状態かもしれません。

 

 

福井県に連れて行き、ソースカツ丼しかない店に誘導、名物は食べたほうがいいとそれとなく話しておごってあげる。

⇒これが一番自然な形に収まるかもしれません。しかし、コストは膨大(東京から往復3万円以上!不自然にならないような日程調整、旅行になってしまうので、一緒に旅に行けるぐらいの人間関係の構築も必須です。

 

 

なんでこんなことを考えていたかというと

 

自由と尊厳を超えて B・F・スキナー 春風社

 

を新幹線の中で読んでいたからです。

 

 

本書でスキナーが言いたいのは、自由を奪え、ということではない。自由なんてもともとなかったということだ。人は常に周囲からのコントロールを受けていて、あらゆる行動はその結果にすぎない。ぼくたちが自由だとおもっているものは、実は単に「コントロールを受けているのにそれを知らない」というだけの話だ。たとえば、僕は昼食に自由意志で生姜焼き定食を選んだつもりでいるけど、それは実は生姜焼きが母の得意料理だったので子供時代に強化された結果であり、環境にコントロールされている。だからだんだん人と環境との相互作用が解明されてくれば、いままで自由だと思われていた部分はどうしても狭まる。(訳者あとがきより)

 


「周囲の環境を変えることによって人の行動を変化されることができるか」ということを自分なりに考えてみたのですが、やはり「無理やり」人を動かすということは難しいし、自然に動かそうとするだけでも可能ではあるが、莫大な手間と労力が必要なのだと改めて感じました。

 

「やってみせ、いって聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」

 

かの連合艦隊司令長官山本五十六の言葉ですが、海軍は完全なるピラミッド社会、上からの命令は絶対であり、連合艦隊司令長官の命令ともなれば兵にとっては神の言葉に匹敵するほどの拘束力をもっていたはずです。それでも自分自身コストをかけないと人は動いてくれないよと山本長官は説きます。

 

人を動かす、行動を変えるとはどのようなことなのかと考えさせられます。

 

現在の私の答えは

 

「人を動かすことは可能であるが、膨大なコストがかかるので、人の行動を変えるよりも自分を変えてしまった方がコストがかからないので楽」

 

です。

 

如何でしょうか。

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嫌な上司は妄想でボコボコにしてしまえ!仕事に潰されない人のルール

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私は乗り物が好きです。車、飛行機、船。何といっても船ですね。だって、船だけは何日も何週間も中で暮らすことができるのです。食事も睡眠も娯楽もすべて賄うことができる乗り物、船!世界中、どこにも行ける乗り物、船!素晴らしい!

 

 

しかし、船の中の人間関係まで考えていなかった。

 

 

「人間の悩みはすべて人間関係」とアドラー心理学では言っておりますが、アドラーが言っていることももっともなのですが、こちらは聖人ではないし、アドラー心理学も修得するまでに今までの人生の半分はかかるということなので、こちらにはそこまで余裕もないのです。

 

 

そこで、もっと現実的な解決方法を考えてみよう!

 

 

スーパーの精肉コーナーで、

「なにか疲れてない?」

「人間関係に疲れちゃったんだって」

「そんな時は…おっにくー!!」

というBGM(?)が流れていましたが、こちらは焼肉ではなく、今回も本で解決を図ろうと思います。

 

 

海上自衛官南極観測船「しらせ」で学んだきつい仕事に潰されない人のルール

泊太郎 秀和システム

 

 

往復5ヶ月の航海に耐え、向かうは厚さ5メートルの氷に閉ざされた南極大陸――。
日本が世界に誇る南極観測船(砕氷艦)「しらせ」の乗組員として活躍した元・海上自衛官が、その経験から学んだ「どんなにきつい仕事でも、潰されずにこなす」ためのルールとは?
普段はあまり表に出てこない「しらせ」乗組員の悲喜こもごものエピソードも満載!
きつい仕事に苦しんでいるビジネスマンにこそ読んでほしい、面白くてためになる仕事論です。

 

 

 

人間関係の本は数々ありますが、大体は心理学の応用であったりと小難しい感じがして、人によってはあまりマッチングしないことがありますが、本書は完全に現場の知恵から生まれた人間関係の解決策です。

 

 

この本で一番驚いたのは、嫌な上司や先輩は妄想でボコボコにせよという話。嫌な上司や先輩がいた場合、極力関わらないようにする、最低限の仕事の付き合いだけで済ませる、自分自身が他の部署などに移動するなどの対処法がありますが、南極観測船には逃げ場はありません。そんな時、筆者がおススメするのが一日の仕事が終わった後、ベットに入り、嫌な上司や先輩を頭の中でボコボコにして病院送りにするということ。それでストレスを発散していたというお話です。

 

 

確かに誰も傷つかないし、コストを払う必要はありません。攻撃行動は我々人間やほかの生物が進化する過程で、自分の身を守るために役立ってきたものです。否定できるものではありません。それを認めた上で人間にしかできない(であろう)「想像」の中でボコボコというのは理にかなっているのではと思います。

 

 

ポイントは妄想だけで止まっていたということ。実際にやってしまうと今度は「あなた」が嫌な奴になる番だと筆者は警告します。

 

 

昔南極点到達を争ったアムンゼンやスコットや白瀬矗の偉人達が妄想の中で嫌な奴をボコボコにしていたと考えるとなかなか感慨深いものがありますが、人間関係で悩んでいるあなた、南極で生まれた知恵を使うことをご一考ください。

 

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「障害者」はいないほうがいい?自分の存在についても考えさせられる本

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忘れもしない平成28年7月26日、出勤前に観たニュースに衝撃を受け、テレビに釘付けになりました。

 

と同時に「ついにこの日が来たのか」と思っている自分もいました。

 

 

相模原障害者施設殺傷事件

神奈川県立の知的障害者福祉施設津久井やまゆり園」で当時26歳の元施設職員の男が侵入し、刃物で19人を刺殺、26人に重軽傷を負わせた大量殺人事件。

 

 

丁度その頃、入所施設で働いていたので、宿直するときには緊張しました。なぜなら、入所施設は侵入しようと思えばどこからでも簡単に入ることが出来るのです。犯人がそこで働いていたことがある者ならなおさらです。どこに誰がいて、この時間にどのような動きをしているかなど手に取るように分かってしまうのです。正直、完全に防ぐ手立てなどありません。 

 

 

 

大学にいた頃から、自閉症の子供たちに魅了され、ボランティアに没頭する反面、支援の難しさ、なぜこのような人たちが生まれてきたのか、生まれてきた意味はあるのか、なぜ今の社会は「障害者」との共存を選んだのかとずっと考えていました。

 

 

自分自身も障害を持った人たちと向かい合う時、言葉にできない心のザワザワ感を何度も何度も味わってきましたし、自分の汚い部分もこれでもかと見ることになりました。キレイごとでは済まされない世界がそこにありました。

 

 

まさかこのような本がでるとは、学生の頃に出合いたかった。

 

 

 障害者のリアル×東大生のリアル 野澤和弘 ぶどう社

 

 

「あなたたちの子供は社会の役に全く立っていません。権利を主張する前にたくさんの税金を使ってしまっていることを謝ってください」

 

 

相模原の事件の 犯人の主張ですが、ネットを開けば障害者は「池沼」などと表現され、「映画に行ったら『池沼』がいて台無しにされた。『池沼』はこなければいいのに」「電車にパワー系池沼が乗ってきて怖かった」などという意見も散在されます。

 

 

はたして本当に「障害者」がいなくなった世界は幸せなのでしょうか。少し考えてみましょう。

 

 

①障害者を全員いなくなるというのはどのようなことなのか。

日本の平成21年~23年度の調査では16人に1人の人はなんらかの障害があるということが分かっています。現在日本の人口は1億2000万人ほどですが、障害者がいないと方が幸せと言ったらいったい何百万人コロセばいいのでしょうか。

その大虐殺を生き残ったとしても、自分がいつ中途障害者になり、税金を使う立場になってしまうのではないか、そしてコロサれてしまうのではないかとおちおち安心して生活できません。

 

 

②「障害者」と「健常者」のあいまいな線引き

自閉スペクトラム症という障害があります。いわゆる自閉症ですが、現在ではは自閉症と健常者の間には虹のような連続性があるという考えになっています。川に挟まれたような存在ではなく、「健常者」との線上に自閉症の方もいるというイメージです。つまり、定義があいまいで、はっきり違うものということではないということになっているのです。ふつうの職場にもアスペルガーの方や精神障害の方は大勢います。コロすとしたらどこまでコロせばいいのでしょうか。

 

 

ナチスの信望者でいいの?

今回の件で私がいちばん違和感を感じたのは、犯人がナチスの信望者であり、障害者の安楽死計画を模したという点です。

第二次世界大戦前夜の世界は「優生学」が台頭しており、凄まじい差別の世の中でした。優生学の先進国はアメリカで、ドイツ人は真面目に優生学を実行に移しました。当時のナチスドイツの世界観では日本人など「黄色いサル」ぐらいの認識でしょう。(ヒトラーの「我が闘争」にも日本人に対する差別発言があります。)

ナチスの信望者なのに、実は差別される側にいるというのはなかなかシュールです。そしてナチス安楽死計画は「失敗」しています。

 

 

④意思疎通ができない人をどこから線引きするつもりか。

 犯人は「意思疎通のできない人を安楽死させます」と言いますが、どこからどこまで意思疎通ができるできないと判断できるのでしょうか。いくら動けなくても、話せなくてもその人の中に高い知能が、高い精神性が「ない」と証明はできません。

 

 

 障害の定義自体があいまいなもので、障害者を差別するその人自身の立場も危うくなってしまうことが分かるのではないかと思います。

 

 

しかしながら「障害者を差別してはいけない」と頭ではわかっていても、その瞬間、この人の「生」になんの意味があるのかと考えてしまう瞬間はあります。理不尽に障害者に殴られた時、便で遊んで本人が便で汚れているとき、レストランで車いすをビニールハウスのようなもので覆い、終始痰を吸入している人を見たとき…

 

 

私はまだ答えを持っていません。

ただ、私は「のっぺらぼう」の障害者しか知らないわけではない。血の通った「障害者」と呼ばれるその人たちの中でも数少ない人を知っているので、非力ながらただその人たちだけでも手助けはしたいと思います。また、優生思想は社会に根強く浸透していますが、それを認めてしまうと社会が不安定になる、自分が住んでいる社会が不安定では困る。だから、安心して子供が生める、育てられる社会をつくらなければならないと思うのです。

 

 

なにより優秀じゃないと生きてく価値はないと言われたらなにより私自身の身が危なそうです。

 

 

障害者のリアル×東大生のリアルを読んでアホな私は率直に「東大生ってやっぱり頭いいな」と思いました。1つの課題に集中してとことん考えるということが出来るということはやっぱり凄いことなのだと思います。また同時にこの本を読んで、東大生も私たちと同じ泥臭い悩みを抱えているのだと知ることができました。

 

 

この本は良書です。様々な人に読んでもらいたいです。

 

 

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城なんか興味ない?そんなこと知りません!「土の城の本」

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わたしが大好きな日本の城について書きます。

 

 

最近は私が好きな「土の城」についての本が多く出ていてとてもありがたいです。

 

 

戦国の城がいちばんよくわかる本 西股総生 KKベストセラーズ

 

 

 

・現在残っている「城」は12.

現在日本に残っている城(天守閣=高層の建物、城と思い浮かべた時に浮かぶアレ)  の数は姫路城、松本城などを含めて12あります。以外に少ないように思えるかもしれません。日本人は城(天守)が大好きなので、日本全国いたるところにコンクリートで出来た犬山城江戸城の富士見櫓のコスプレのような城がたくさん建てました。あんなものはニセモノだ!という人もいますが、私はあれはあれで見るとテンションが上がりますし、大好きです。

 

 

 

・日本にあった城は3万~4万。

「うちの近くにはお城がない!」と嘆く方もおられるでしょうが、朗報です。城はいたるところにあります。その多くが「土の城」です。城の総数は3~4万と言われています。

今現在日本にあるコンビニの数は2010年の統計では4万2865件ということですからコンビニのような数の城が日本中にあったということになります。ネットで調べてみたりすると、近くに多くの城があることにびっくりすると思います。

 

 

 

・いろいろな城があります。

  〇地震による山崩れで一族もろとも土の下へ。今でもどこにあったかわからない 

  帰雲城

 〇壁、畳がいざという時に食べれるようになっています 熊本城

 〇星の形をしています。 龍岡城 函館五稜郭

 〇大砲に耐えるために鉄板を貼りました 福山城

   〇古墳の上に建ててみました 岡ミサンザイ古墳城郭…

 

 

 

・「建物」は使い捨て?

 先日、犬山城天守に雷が落ちてしゃちほこが欠けたとニュースになっていました。たしかに、残念なことではありますが、「しゃちほこ」自体が天守を火災から守るおまじないのような意味がありますので、あれはあれで正解なのです。しゃちほこが天守を守ったのです。

 言ってしまえば、城の建物自体「使い捨て」なので、壊れても直せばいいのです。城の本分は「遮断線」にあります。ようするに「人が入ってこれないようにするライン」が重要なのです。敵の侵入を防ぐための高い石垣、深い堀などがそれにあたります。「遮断線」が城にとって重要であり、建物は「おまけ」にすぎません。土の城には、縄文時代と変わらないような建物ぐらいしかありませんでした。

わたしの町の城はなく、石垣しかありませんという意見もあるかと思いますが、実は石垣自体が城そのものなのです。石垣もなくてもいいです。土だけでもいい。土から成ると書いて城です。土でできた堀や土塁しか残っていなくてもそれは立派な「城跡」です。

今まさに注目されているのが土で作られた「土の城」なのです。

 

 

・落城させることができないものになった。

土の城は基本的にその場限りの使い捨てのものも多くありました。大軍が攻めて来たら戦うことなく落城を待つことなく、諦めて捨ててしまうことも多くありました。

近世城郭(いわゆる姫路城とか熊本城とか)には様々な工夫が凝らされており、必要な人数の兵力が城に籠っている場合、何万人の兵力で力攻めをしても落城されることはありません。熊本城、会津若松城などは実際に攻められて猛烈な攻撃に晒されましたが、ついに場内に敵兵を入れることはありませんでした。何百年も城に工夫を凝らしてきて、最終的に城は落とすことができないものになりました。

 

 

 

 

城に興味が湧いてきたのではないでしょうか。

 

近年盛り上がりを見せていた城ブームでしたが、大河ドラマ真田丸」のヒットが後押しして、城歩きの本が多く発行されてうれしいかぎりです。

 

ただ、城はやさしい観光地ではありません。城は「兵器」です。「暴力装置」です。敵兵を殺傷するために作られた施設です。うかつに近づくとケガでは済みませんので注意が必要です。

 

ここに昔城があって、この地域を見下ろしていた。守っていた兵士はどんな気分だったのだろうと妄想するだけで楽しいです。

 

基本的に歴史を知るというということは、人生を豊かにしてくれるものと思います。家の近く、観光地などの城跡で一緒に妄想を楽しみませんか?

 

 

 

 

「大人たちは何かを私たちに隠している」 日本最大の危機 少子高齢社会

 

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この本を読んでから、国道を気にしながら運転したのですが、道を歩くのは高齢の男性ばかりしかいませんでした。確かに外国から来た方は日本の高齢化にびっくりすると言いますが確かにその通りだと思いました。

 

 

この国はこのまま滅んでしまうのか。

 

 

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること 河合雅司 講談社現代新書

 

 

<主な内容>
第1部 人口減少カレンダー
2017年 「おばあちゃん大国」に変化
2018年 国立大学が倒産の危機へ
2019年 IT技術者が不足し始め、技術大国の地位揺らぐ
2020年 女性の2人に1人が50歳以上に
2021年 介護離職が大量発生する
2022年 「ひとり暮らし社会」が本格化する
2023年 企業の人件費がピークを迎え、経営を苦しめる
2024年 3人に1人が65歳以上の「超・高齢者大国」へ
2025年 ついに東京都も人口減少へ
2026年 認知症患者が700万人規模に
2027年 輸血用血液が不足する
2030年 百貨店も銀行も老人ホームも地方から消える
2033年 全国の住宅の3戸に1戸が空き家になる
・・・ほか (Amazon 作品紹介より)

 

 

宮崎駿の映画「風の谷のナウシカ」を思い出しました。アクションシーンや、ナウシカの人や蟲に対しての愛の深さなどに 注目して鑑賞しますが、映画の舞台である「風の谷」は住んでいる住民は若い女性はナウシカくらいしかおらず、また労働の中心であるべき若い男性もいない高齢者と少ない子どもが目立つ限界集落でした。腐海に飲み込まれるまでもなく、早晩滅びゆく運命…今考えると宮崎駿が未来の日本を予言していたのかもしれません。

 

 

 今現在、どの分野でも人手不足、老々介護、介護と子育てのダブルワーク、地域での限界集落等々の問題がありますが、根本は少子高齢化労働人口の減少に根本的な原因があります。

労働人口を増やそうにも、たとえば労働できる期間を延ばしたところで70歳過ぎまでできる仕事がどれだけあるのか。ふつうの企業でも、一番賃金を払わなければならない50歳あたりで肩をトントンと叩かれることもあるとか。

また300万人いるといわれる引きこもりの方々に働いてもらう等の意見もありますが、いきなり社会にでたこともない人が「労働」できるわけがありません。どの案も一朝一夕にはいかないようです。

 

 

「国が無くなってもどうにかなるのでは。グローバルな社会を目指そう!」という意見もありますが、今の中国やアメリカの動向を見ているととてもとてもそのような状況ではありません。国境がなくなるどころかどちらかの国に編入されてしまいます。

この「自動販売機でジュースを買う」「夜コンビニに行く」「安心して電車に乗る」「政権の愚痴を公然と愚痴る」等々普段ふつうに行われているサービスや平凡な生活がすべて壊されてしまうことを私は望みません。

国を守るというと右翼的な精神性と非難されるかもしれませんが、この平々凡々とした日常=日本という国をどのように維持していくかが、非常に重要になると思います。

 

 

このとても大事な問題がまったく話題に上らないこともとても不思議です。作中にある中学生の問い「大人たちは何かを私たちに隠している」という言葉がまったくその通りです。政治に関わっている方々は、票にならない。自分たちはエリートなので老後に困らない、逃げ切ることができる(大変になるまえに寿命が来る)という意味で直視したくないのでしょうか。

社会が沈んでしまうということは、いままで社会で行われているサービスが機能不全に陥るということであり、ひいては自分たちの生活に直結してしまうはずなのに。

 

 

作者が提言する「日本を救う処方箋」

 

・24時間社会からの脱却

・中高年の地方移住推進

・非住居エリアを明確化

・第3子以降に1000万円

・「匠の技」を活用

・「高齢者」を削減 ほか

 

 

議員の不倫について手のつなぎ方がどうこう言っている場合ではありません。まったく直視したくない極めて厳しい「不都合な真実」ですが、皆で知恵を出し合い、この有事を乗り切らなくてはなりません。

 

 

いままで、日本は様々な危機に遭遇してきましたが、なんとか乗り切ってきました。今回はじわじわと国が滅んでいくという今までで最大の有事です。

 

 

皆でこの国難について考えてみませんか。

こころの栄養。ストロークについて

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交流分析(TA)について研修を行う機会があって購入しました。

 

入門TA 浅井千穂・坂田芳美 編著 TA教育研究会

 

専門用語が連続して出てくる(よくわからない)本の中で、今回は「ストローク」について考えたいと思います。

 

ストロークはもともと「なでる」とか「さする」という身体的接触(刺激)を意味する言葉ですが、TAでは人の発達に伴って生じる、言語的・非言語的なものも含めた現在の認知を示す行動をストロークと呼んでいます。

体が成長する上で、また調子を整える上で、タンパク質やビタミンなどが必要であるように、心にも栄養が必要です。

心の栄養、それがストロークです。(P24)

 

いまいち伝わってきません。

 

ストロークは『心の栄養』と言われています。たとえるなら食事や水と同じ。飲まず食わずで生きられないのと同じで心の栄養がないと人は生きていけないのです。すなわち人は『ストロークを得ること』こそが最大の目的なのです。(中略)もちろんプラスのストロークに越したことはありません。しかしそれが得られないとき人はマイナスのストロークでもいいので得ようとするのです。食事で想像してください。二つとも食べられるならもちろん誰だってご馳走を食べます。しかし遭難などでなにも食べられない状態ならどんなにマズくてイヤな食事であっても口に入れたいと思うのではないでしょうか。人にとって『孤独』や『無視をされる』ことほどつらいことはありません。たとえマイナスのストロークでも『何もない』よりずっとマシなのです。(マンガで分かる診療内科4 P10~P11)

 

「マンガで分かる診療内科」は図解してあり、ギャグも交えてわかりやすく、面白いです。

 

 

交流分析では、「過去と人は変えられない」ということが考えの中心になっているということです。まさにアドラー心理学ととてもよく似ているのですが、アドラー心理学よりガチガチに(?)目的が固まっているわけではないようです。

 

 

ストロークの概念も、行動分析学の行動を強化する「強化子」にとても似ており、ストロークの操作で(良い行動をしたら質の良いストロークを与えて行動を強化する、良くない行動をしたら質の悪いストロークにして行動を弱化させる等)他の人を「意のままに」動かすことも可能のような気もしますが、交流分析ではあくまでも「過去と人は変えられない」という立場に立ち、アドバイスはするが、行動自体はその対象の人に任せるという考えです。相手は変わらない、だから自分が変われと。

 

 

アドラー心理学の時も思いましたが、困っているのはあくまでも「自分」であり、その自分が「変わらなければ」ならないというのはなにか損しているような気がするのは、まだまだ学習が足りないのだということでしょう。

 

 

アドラーが言う「課題の分離」が出来ていないということです。

 

 

行動分析学アドラー心理学交流分析と身近に3つの心理学がありますが、どの考えが人を救うことができるのかとても気になります。うんちくはいくらでも言えますが、実生活で役立たないのではまったく意味がありません。

 

 

心理学など知らない人が(自分もそうですが)「使用」してもっともしっくりくるものはどの考えなのでしょうか。興味は尽きません。

 

 

 

 

 

 

死ぬくらいなら会社やめればいいんじゃないかしら

 

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って思っていました。この本を読むまでは。

 

 

死ぬくらいなら会社やめればが出来ない理由(ワケ)  汐街コナ

 

 

「うつ」の人が相談にくる職場環境になったので、理解するために購入しました。

 

 

わたし、社会に出て17年目に突入しました。辛いことややるせないこともそれは多々ありましたが、おかげ様でうつにならずにいます。

 

 

ただ、それほど一生懸命に仕事しないし、それほど責任ある仕事には就いていないということもありますが…

 

 

むつかしい仕事からは意図的に逃げている、自分のやりたいことしかやらない、めんどくさいことは人に頼る。

 

 

社会人失格です。

 

 

以前の職場の周りには病んで仕事を辞めていく人もいました。

 

 

「働くってなんなんですか?」

 

 

という問いかけにわたしは「はた(周り)が楽になるからはたらくのだと思うよ」と間抜けなことしか答えられませんでした。そして今でも答えが出ていません。

 

 

最近、大変な仕事でも「やらされてやる」ということと「自ら進んで(選んで)やる」ということには大きな違いがあるということを学びました。

 

 

「ふつう」の仕事をしていてもストレスを貯める人もいるし(それは往々にして人間関係なのですが)、長時間働いていても活き活きしている人もいる。それはやはり、「自分から進んで仕事をしている」ということに尽きると思います。

 

 

 

最近、経営に携わることが多くなり、コンサルタントの真似事のようなことをしています。会社の収入と支出を計算したり、事業を勧めたり…

 

 

その中でつくづく感じるのは、悪くいってしまえば、

 

 

「労働者はしょせん組織の駒にすぎないのだ」

 

 

ということです。(むろん私もその駒の一つです)

 

 

だからこそ、組織は労働者を大切にしなければならない、自分から進んで仕事ができる職場であるという「物語」を与えていかなければならない義務があるのです。

 

そこらへんが今上手くいっていないような気がします。「上の人」と「下の人」の信頼関係が薄いというか…

 

行き過ぎると某飲み屋さんみたいなことになってしまうのですが。

 

 

 

人に言われたままに真面目に働き、心、体を壊してしまうのは

 

 

本当のばからしいです。

 

 

忙しい人は「忙しく働ける自分、それに耐えられる自分、必要とされている自分」に酔い、上手くいく人はいいが、そのレールに乗らない人は使われて壊れてしまうだけです。

 

 

自分が壊れる前に逃げてしまおう!

人生を楽しく生きよう!

 

 

しょせんは仕事です。